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『信州/諏訪 霧ケ峰高原 別荘地 ビバルデの丘』
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令和 8年 9月11日(金)
ビバルデの丘
今朝8:30の気温は17.3℃
天候は雨です。
今日は霧ケ峰にあります旧御射山神社について紹介させていただきます。
神社の正式名称は“霧ケ峯本御射山神社(旧御射山社)といます。
霧ケ峰の一帯は旧石器時代の遺跡が多く、また国内有数の黒曜石の産地です。
ここは旧御射山といい過去には諏訪神社下社大祝金刺氏の禁猟地で太古から御射山祭が行われていたところです。
とくに鎌倉、室町時代には信濃武士、鎌倉武士が参加する全国的な大祭として盛大でした。

現地にある説明看板
『諏訪大明神画詞』(1356年)(諏方大明神画詞 – Wikipedia)から下社の御射山祭を思い描いてみました。
旧暦7月26日大祝、神官社人、御頭役(祭りの当番)一行が山に登り
尾花(ススキ)で葺いた穂屋に5日間こもりました。
神社の南側に見える人工の土壇は穂屋の敷地跡でいまでも面影が残っています。
祭りの別名が穂屋祭りと言われた由縁です。
祭りは雨風を鎮め五穀豊穣を祈るため狩猟を行いその幸を神に供えました。
この間、奉幣、狩猟、饗膳(神と人が相甞する式)
(相嘗(あいんべ)とは? 意味や使い方 – コトバンク)があり
29日の矢抜きの儀には鹿を射止めた者に尾花を添えた尖り矢が授けられました。

平成版 諏方大明神画詞より抜粋
参集の武士たちは小笠懸、相撲、草鹿、武射、揚馬などを競いました。
乗馬に秀でた諏訪の武士は名声をあげ人々の心をひきつけました。
また鎌倉幕府の篤い崇高により諏訪神の武神としての信仰が確立したといわれています。
諸国から白拍子、田楽、巫女、呪師などが山に集まり、
祭場は里の様な賑わいであったと和歌にも詠まれています。
御射山祭を機縁に諏訪神が広く勧請されていきました。
全国各地の諏訪神社の多くが27日を祭日にしていることも故あることです。
江戸時代の中頃、御射山の祭場は秋宮近くの山中に移され
以来旧御射山は遺跡地になりました。
ここに鎮まる石の祠を『本御射山神社』といい、建御名方神をお祀りしております。
付近には清水が湧き、風そよぐススキは秋の稔りをほうふつさせます。
旧御射山は諏訪大社下社の山宮、水霊の籠るお山であり諏訪信仰の原点です。
「尾花ふく穂屋のめぐりのひとむらに しばし里あり秋の御射山」 下社大祝 金刺盛久
「ススキ箸見たばかりでも涼しいぞ」 小林一茶
「雪降るや穂屋のススキの刈残し」 松尾芭蕉
現在は、この神社を管理している上桑原牧野農業協同組合が毎年8月27日に御射山祭をおこなっています。
参加者は、主に山の関係者、行政の関係者などで数十人が参加しています。

例祭風景

例祭風景
お祭りでは、神事の後に奉納演武が奉納されます。
新陰流兵法神妙会の三好妙心代表と門下生5人が組太刀を披露しました。
(平和願い演武奉納 旧御射山神社で例祭 長野県諏訪市郊外の霧ケ峰高原(長野日報) – Yahoo!ニュース)

奉納演舞の様子。後ろの山に土壇の跡が見えます。
これからもいろいろな情報を発信していけたらと思います。
どうぞよろしくお願いいたします。
鯉ちゃんでした。







